ボードSLGゲームという概念がアメリカからの輸入によって始まったことでも明らかなとおり、日本でボードSLG界が勃興した1970年代の末からバブル期を迎えた80年代中葉にかけて、日本史をテーマにしたゲームはまだまだマイナーテーマの扱いであり、数自体も限られていました。 しかしそれから20有余年を経て、冬の時代から辛うじて雪解けを迎えつつあるかのように思える今日、ある程度の数のゲームが出そろい、主要なテーマがほぼカバーされつつあることは、歓迎すべき事項であるといえるでしょう。 ここではこれまで国内で出版された主な「戦役級」日本史ゲームについて、その興亡と原因を考察していきたいと思います。 精鋭軍と大衆軍の戦い (:アドテクノス)壬申の乱 日本のボードSLG界唯一(ではないかもしれない)のプロフェッサー・デザイナーである高梨先生の初期の作。高梨先生といえば鋭い切り口でのゲーム評論もさることながら、どのゲームをデザインする際も必ず一本筋の通ったコンセプトに基づいたゲームデザインで定評がある。 たとえば「アフリカンギャンビット」では「何をするにも補給を消費し、補給を運ぶ行為自体にすら補給を消費する」という具合に、徹底的に軍事行動と補給の問題を中心にデザインされ、「ドイッチュラントウンターゲルト」ではすべての軍事行動を戦争経済から見た費用対効果の関係から考察すると行った具合である。 では、「壬申の乱」の場合は何か。それは、「精鋭軍と大衆軍の戦い」である。もっとも独ソ戦のように一方が精鋭軍、一方が大衆軍を指揮して性質の異なる陣営が戦うというわけではない。 それは、両プレーヤーとも「歩兵」と「戦車」のような性質の異なる部隊を如何に上手く組み合わせて使いこなすか、という点こそこのゲームの最大の中心テーマなのである。 ゲーム展開としては、最初は両軍ともほとんど部隊がないが、続々と到着する各国からの徴募兵によって盤内に大部隊が集結していき、やがて大軍同志の激突に発展する雰囲気が良く出ている。 このため両軍が兵力を集結させる序盤、衝突が次第に大規模化していく中盤、最後の決戦が展開する終盤といった演出がはっきりできていること、両軍の勢力状況が固定化しておらず、ゲームの展開次第で状況が大きく変化することなど、キャンペーンゲームとして非常に優れたシチュエーションであると言えよう。 ゲームシステムは、1スタックづつ移動力を消費しながら移動/戦闘をおこなうという、いわゆる現代戦SLGでは有名なセントラルフロントシステム(のようなもの)である。 このように古代戦とは思えないような近代的なシステムを採用しているばかりか、ダイスを振って各スタックの移動力を決定するという行動の流動性を取り入れるなど、15年以上前のゲームとは思えないような先進的なシステムを採用している。 「日本のポエニ戦争」という評がなるほどと思わせる逸品である。今だったら誰か「ハンニバルシステム」でゲーム化したりして(笑)。 惜しむらくはキャラクターにほとんど知名度がないために、なかなかプレーヤーに思い入れがし辛いこと。このため非常に優れたゲームでありながら、埋もれてしまった惜しいゲームである。むしろ戦国ゲームなどにこのシステムを応用したら非常に面白いゲームができると思うのだが。 封印された悲運のゲーム (バンダイ)源平合戦 このゲームに関しては、本誌57号(特集:源平合戦)に古徳俊郎氏の極めて優れた紹介記事が掲載されているので、詳細はそちらを参照して欲しいが、かいつまんで概要だけ述べる。 このゲームはいくつかの理由から、発売された当時ゲーマーの評価は極めて低く、それゆえに忘れられたゲームであった。 その理由として、まず第一にこのゲームには武将ユニットは登場はするのだが、名前が無く(それらしい武将ユニットはあるのだが)抽象的で思い入れがしにくかった。 第二に味方ユニット等で敵ユニットの移動を拘束するという概念が無く、いったん両軍の衝突が始まるや両軍入り乱れて、どこからどこまでがどの勢力の勢力範囲か訳が分からないカオスな状況になってしまう。 このように「両軍がど〜んと大陸間弾道弾を撃ち合い、生き残って着弾したら、着弾地点から再び反対向きに相手向かってど〜んと撃ち合いを繰り返す」と評されるように、少なくとも「ヒストリカルシミュレーション」の視点から見た場合は「支離滅裂」な展開になってしまうことなどが問題としてがあげられる。 また、武将が敵武将に隣接すると1/3の確率で「暗殺」を試みられるというルールがあるために、各勢力の総大将が「暗殺」を恐れて盤上を所狭しと逃げ回るなど、思わず「イッタイコレわナニヲしみゅれ一とシナイルノデスカ!?」とツッコミを入れたくなるような展開が横行する点、大抵の勢力は武将を1,2人しか持たず極めて貴重な割りに、「武将死亡」のイベントを引くと、何もできない間に一発でゲームから脱落してしまう点なども問題であった。 さらに、ヒストリカルウォーゲームで「マルチプレー」という概念が受け入れられる土壌ができていない(このゲームが出版されたのは「戦国大名」よりも早いのだ!)時期に出たゲームであること、なによりすでに「バンダイゲーム」ブランドにシミュレーションゲーマーからは非常にネガティブな評価が定着しかかっていた時期に出たゲームであったことが、これらの悪評にダメを押したのではないかと思われる。 しかしながら、実は自分も誤解していた点なのだが、これらの問題点はこんにちのドイツゲームを中心とするテーブルゲームの発想とあまりにも共通する発想が多いことに驚かされる。 たとえば、ドイツ系のテーブルゲームの多くは「シェークスピア」「カエサル」など一見史実の素材をモチーフにしているように見えながら、極めて抽象性が高いが、本件の「問題」とされているルールも、これらのゲーム同様「シミュレーション」という眼鏡を外して純粋に「ゲーム」としての視点で見ると、むしろ「史実」に制約され過ぎていると見ることもできる。 特に「法王」のルールは、このゲームの白眉とも言っても良い独創的かつシミュレートとして優れたルールであった。 このように、現在であればこのゲームは受け入れられる土壌ができていたかもしれない。しかし、その後ウォーゲームがどんどん「精密なシミュレーション」を追求していくヒストリカルウォーゲーム全盛期に出た点が、このゲームの不幸だった。 この意味で、このゲームは世に出る時期が20年早すぎるために葬り去られてしまった、「悲劇のゲーム」ということができるだろう。 イベント中心の源平合戦絵巻 (GJ)草燃える このゲームは自身企画に関わったゲームでもあるので、若干ゲームの制作過程も絡めて紹介する。 「源平合戦」というテーマは、上で取り上げたバンダイのゲームが「マルチプレー」というスタイルをとったことからも判るとおり、開発前は「源平合戦に戦略なし」「源平合戦の戦略状況はゲームにならない」という考えられていた。 ところがアバロンヒルの「ハンニバル」に代表されるボードゲームとカードプレイを組み合わせたゲームが日本でもプレーされるようになると、このシステムは日本史ゲームにおいても変革をもたらすのではないかと考えることができるようになった。 つまり、日本史に限らずプレ近代ゲームは、地勢や軍隊の配置など「幾何学的な」(ボードゲーム的な)要因よりもキャラクターやイベントなど「物語(エピソード)的な」(カードゲーム的)要因の方が大きい。 そこで「戦略不在」と言われた源平合戦も、盤上の幾何学的な地勢と両軍の勢力配置の相関関係によって規定される「戦略」主体のゲームではなく、「政略」「策略」カードの有効な使い方で規定されるカードプレー主体のゲームとすることによって、ゲームとして有効に機能せしめることが可能になるのではないか。そしてそれが、「戦略性」より「物語(エピソード)性」が強いプレ近代の日本史ゲームにマッチしているのではないか、ということであった。 ところが皮肉なことに、このゲームがテストプレーに入った段階で、初めて「源平合戦の戦略」なるものが見えてきたのである。 詳細は本誌57号(特集:源平合戦)掲載の拙稿を参照していただきたいが、要するに「源氏のランドパワー対平家のシーパワーの戦い」という視点から見ることにより、少なくとも一ノ谷以降の源平合戦の戦略を軍事的合理性に基づいて説明できるのではないか、ということである。 しかしデザイナーの田島氏自身は「このゲームはこれで完成」と考えていたフシもあり、結局この視点はこのゲームに取り入れられることなく終わった。 このため本作は一般の評判も良く水準以上のゲームにはなったとは思うが、この点さえクリアすれば名作・傑作への道も開けたのではないか、その意味では残念さが残ったゲームではある。 SSシリーズ最高の人気作 (翔企画/GJ)太平記 今号付録の昨年度の「シミュレーションゲームオールタイムベスト10投票」で、強豪揃いのSSシリーズで居並ぶ「モスクワ電撃戦」「決戦ガダルカナル」「ヒトラー帝国の盛衰」さらにはあの鈴木銀一郎デザインの「ロンメル戦車軍団」までを押しのけ、唯一堂々のベスト10入りを果たしたことでも判るとおり、90年代の日本史、いや日本ウォーゲーム界を代表する名作である。 しかも同時代をテーマにしたゲームが他に全くないことでも判るとおり、本来なら「マイナーテーマ」を題材にしたゲームであるにもかかわらず、このような多くの支持を得た点でも特筆される。 このゲームがこれほど支持を受けた理由はいったい何だろうか。 第一に、このゲームが「キャラクターゲーム」である点だろう。戦国期を除けば楠正成、足利尊氏、新田義貞(それに直接登場しないが後醍醐天皇)などこれだけ鐸々たる顔ぶれが揃うテーマは他にない。 そして、佐々木道誉、高兄弟、北畠父子など周囲を彩る個性的なキャラクター陣もまた魅力であり、これらの魅力的な武将たちがオールスター総登場するという点で、「戦役級」という切り口を選んだことが成功だったと言うことができるだろう。 第二に、ルールがシンプルで展開がスピーディである点。「シミュレーションゲームオールタイムベスト10投票」の上位5作のうち3作をエポッククラシックスが占めていることでも判るとおり、プレイアブルな点は何度もプレーされるためには必要不可欠な要素なのだろう。 第三に、展開がダイナミックでありかつドラマチックである点である。鎌倉を発した尊氏軍が京に入り、敗れて九州に落ち延びるが再び勢いを取り戻し京を取り戻すなど、エルアゲイラからトブルクまで二度にわたるシーソーゲームを繰り広げたロンメルの北アフリカ戦役に比肩すべき、日本史上これほどダイナミックな展開は他に例を見ない。 そして、両軍主力同志の衝突からはじまり続々と各地で両軍の挙兵が相次ぎ、やがて全国規模の「同時多発的戦闘」に発展していくという独特の展開。 これらがあいまって、他に例を見ないユニークな展開を示す点が、このゲームの大きな魅力を形成していると言うことができるだろう。 ただし、やりこんだプレーヤーの一部には「公家方有利」という評判もあるので、その場合は本号収録のオプションルール(の筈)を採用してプレーすることをお奨めする。 このように、それまで誰も思いつかなかった好素材を、極めて巧妙な切り口でデザインしたことがこのゲームの成功の最大の要因ではないだろうか。まだプレーした機会がない方も勿論、すでにプレー経験がある方もぜひ手にとってもう一度プレーしてみて欲しい。 コンセプトは良いのだが人気が今ひとつの信長ゲーム (バンダイ)織田信長 「信長最大の危機」とほぼ同じテーマ、「桶狭間」「姉川」「長篠」の合戦級ゲーム3本と、戦役級ゲーム1本がワンパックに入っており極めてお買い得な点などから、マーケティング的には日本史ゲームとしてこれ以上はない、という題材を選んでいる。 また、年代別にイベントカードが異なるなど、今日でも通用するデザイン思想がいくつか見られるゲームでもあった。 ところが一般のゲーマーからはほとんど振り返られることがないのはなぜだろうか。 このゲームの展開は、まず第一段階として、中立武将は調略が成功する確率が高いので、まず序盤は両陣営が中立武将の調略合戦を繰り広げることになる。第二段階は、中立武将の調略が一巡すると、今度はひたすら政略結婚に精出すようになる。政略結婚してあると、自軍武将が敵方に引き抜かれる危険はほとんどなくなるのだ。最後の第三段階は、こうして政略結婚が一巡し、ようやく敵軍の支配する城塞を巡って野戦、攻城戦が展開するようになる。 ところがときとして第二段階に移行せず、敵軍武将の引き抜き合戦が延々と続き、単なるカード引きゲームに成り下がってしまう危険がある。また第三段階でも、部隊の移動力が非常に大きすぎるのに対し、ZOCも何もないので味方の大軍の鼻先を敵の大軍がすり抜け、いきなり味方の本城が強襲されてしまう、いわゆる「盤の広さと部隊密度、移動力がゲーム展開とバランスを欠いている」などの点も問題であろう。 以上の点を除けば、一時期言われたほどひどいゲームであるとは思われない。源平合戦、徳川家康と続くバンダイ三部作の中では、もっともまともな作品として評価しうるゲームと言うことができる。 先に述べたバンダイ「源平合戦」と同じく、このゲームが「ヒストリカルシミュレーション」全盛の時代に出たこと、バンダイゲームに極めてネガティブなイメージが定着してしまっていた点が、このゲームが振り返られることが少ない最大の理由であろう。 独自のワールドを展開する関ヶ原戦役ゲーム (バンダイ)徳川家康 源平合戦、織田信長に続くバンダイ三部作の一つ。一応史実の関ヶ原合戦の時代をモチーフとしてあるが、ゲームの展開は史実とは相当異なる。 第一に、史実の「関ヶ原戦役」は数ヶ月間で決着が付いた短期間のキャンペーンだったが、このゲームは1600年のいわゆる関ヶ原合戦の時代から、1615年の大坂夏の陣の時代までをプレーする。 第二に、史実の「関ヶ原戦役」は「経済」の要素がない純粋に政治、軍事の戦いだったが、このゲームは敵の領土を奪って国力を増やし、金を使って部隊を生産し、行動させるなど経済が主体のゲームである。 第三に、移動には非常に大きな金がかかるのに対し部隊の生産の方が相対的に安いため、長距離を侵攻させるためには武将一人と1戦力を走らせ、現地で召集させた方が良いなど、関ヶ原と言うより南北朝や源平合戦時代のような点も、「イッタィコレわナニヲしみゅれ一とシナイルノデスヵ!?」という点であろう。 この結果、このゲームは戦国大名のような長期間に及ぶ「国盗り・生産」が主体の戦略級のゲームになっており、史実の関ヶ原戦役と言うより、むしろ関ヶ原から大坂夏の陣の時代をモチーフにしつつ、史実を離れた独自の世界を楽しむゲーム、としてプレーすべきだろう。 このあたりも、この当時の他のバンダイゲーム同様、このゲームもどちらかというと今日の「ドイツゲーム」的な捉え方をした方が適切なように思われるが、「ヒストリカルシミュレーション」全盛の時代に出たことがこのゲームの不幸だった。 発想の転換で成功した関ヶ原合戦ゲーム (エポック)関ケ原 80年代の日本史ゲームデザイン史上の金字塔とも言える名作。 日本史上のビッグテーマと言うべき関ヶ原合戦については、それまでも9月15日の合戦のみを扱った「会戦級ゲーム」がいくつか出版されていたが、いずれもゲームとして成功しているとは言えなかった。 その理由は、関ヶ原合戦ものの永遠のテーマである小早川秀秋が寝返れば勝ち、寝返らなければ負け的な運のしゲームを脱却することが出来なかったためである。 9月15日の合戦自体はどちらかというと作戦・戦術級的な題材に属するが、小早川秀秋の寝返りと言った謀略的要素は通常戦略級シミュレーションの題材に属する。 ところが通常のウォーゲームは、戦略級や戦術級などスケールによっていくつかのタイプに区分され、それをどのプレーヤーも問題に感じないが、関ヶ原の戦いの場合は、プレーヤーが島津隊や大谷隊の奮戦、小早川秀秋の裏切り、真田昌幸の知略などといった戦略級と戦術級に属する矛盾するエピソードを同時に一つのゲームに求めがちであるため、旧シミュレーター14号で「陰険な外交交渉と少数だが強力な部隊の奮戦という二つの全くタイプの違うエピソードを同時に一つのゲームで再現することは極めて難しい」と高梨俊一先生が鋭く指摘されたとおり、矛盾するプレーヤーの期待を満足させることが非常に難しいテーマであった。 ところが、このエポック関ヶ原の場合は、鈴木銀一郎氏と共にエポックゲームの一時代を築いた敏腕デザイナー黒田氏の辣腕によって、この問題に一つの回答を導き出すことに成功している。 このゲームでは、マップは濃尾平野を現したメインマップと、その他の地域を示す地域ディスプレイに別れている。プレーヤーは濃尾平野を舞台とする「作戦級」ゲームと、全国を舞台にした「戦略級」ゲームを同時にプレーするという斬新な切り口によって、この問題を止揚することに成功したのである。 一方、このゲームが出版された80年代は「精密に再現すればするほどシミュレーション性が増し、シミュレーション性が増すほど高尚なシミュレーションゲームである」という風潮がゲーム界全般に蔓延した時代でもあった。 80年代のゲーム全般に見られる傾向だが、この風潮を受けてこのゲームではダミーカウンターあり、本隊と予備隊の二分行軍あり、カウンタームーブあり、調略カードの他に恩賞カードあり、天候によって地表の状態が変わり、部隊の戦意によって偵察範囲、迎撃範囲、移動距離、接敵・戦闘の可否が決まるなど、およそ考え得るあらゆる要素をシミュレートした感があった。 そしてこれらのルールが相まって、このゲームの他にない独特の魅力を醸し出しているわけであるが、同時にあらゆる要素をゲームシステムに取り込んだ結果、マニア以外が手軽にプレーするには敷居が高くなりすぎたことも事実である。 したがってゲーマー全体が忙しい社会人となったことと、高齢化したことで、1ゲームのプレイに以前ほどの時間を割けなくなった今日、このゲームがプレーアビリティが高く手軽にプレーできるゲームであれば、広くプレーされるゲームであり続けたかもしれない。その点だけは唯一残念であった。 困難なテーマを正統なシミュレーションウォーゲームとして挑戦 (GJ)戊辰戦争 幕末維新は戦国と並んで日本史上では非常に人気があるテーマであるにもかかわらず、従来ボードSLG界では非常にマイナーテーマ扱いされてきた。 その理由として、「ウォーゲーム的」シチュエーションでないことがあげられる。 たとえば、エルアラメイン、フランス40年もの、長篠合戦などは有名なテーマではあるものの、ウォーゲームのテーマとしてはあまり人気がない。なぜならエルアラメインは狭い範囲での塹壕戦であり、プレーヤーにほとんど選択の余地がない。フランス40年ものは展開が一方的かつ一方のボーンヘッドが原因になっている。長篠合戦では一方のボーンヘッドが原因になっている。 逆に、第三次ハリコフ戦などは一般にはさほど知名度はないものの、両軍が攻勢に出、かつドラマチックな展開で非常に人気があるテーマである。 このように、一般の知名度とウォーゲームのテーマとしての人気度は必ずしも比例しないのである。その意味で幕末維新は展開がワンサイドである点で、ウォーゲームとして盛り上がりが欠ける点が、これまで「マイナーテーマ」に甘んじていた最大の理由であると思われる。 しかしながら、幕末維新の最大の魅力は戦国ものにも匹敵する綺羅星の如きキャラクターであり、先の「草燃える」の項で述べたとおり、キャラクターとイベント主体のゲームであれば今後十分名作傑作が出来てくる可能性は十分にあった。 この点に「正統なシミュレーションウォーゲーム」という視点から挑戦したのが「戊辰戦争」であり、そしてその試みは今一歩で成功するところまで行ったと思う。 しかし非常に惜しいことに、非常に雑多なものを盛り込んだ割りに、ルールが未整理なために必要以上に判りにくいゲームになってしまった点が、このゲームがブレイクに至らなかった大きな要因であるように思う。 ゲームのポイントをしっかりと絞り込み、ルールをはっきりと整理してデザインしておれば、今一歩の飛躍が望めたと思うだけに、その点は残念な点であった。 |